今年の5/17で私が気象図をファクシミリで受信開始してちょうど30年になります。写真は受信開始当時から現在までの変遷の一部です。写真編集の都合からかなり省略してあります。
私が気象庁から「気象無線放送」していることを知ったのは高校時代(1970年代前半)でして、工業高校・電子工学科でしたから、その通信方式も習ったものです。
気象無線FAXの実物はその頃に名古屋地方気象台で見ました。当時の気象台には「通信課」がありました。
仕事柄(元電電公社職員)、第1級無線技術士の免許をとらねばならず、その受験勉強のための参考書に「気象無線FAX」の写真が載っており、気象台以外にも一般販売されていることを知り、
「いつか これは なんとしてでも 買いたい」
と思うようになり、8年ぐらいかかって1980/4上旬に発注、5/17に我家に届きました。当時はまずアンテナ調整から始まり、職場のアマチュア無線家に機材が売っている店を教えてもらって、正常に受信できるようになるのに約1ヶ月かかったものでした。
以来、その後 受信方法は「電話FAX」「インターネット」と変遷するもこの30年間に受信した気象図 (インターネット受信では実際にプリントした図面で) の通数は5万枚を超えました。
気象無線ファクシミリ放送[JMH]は、現在は鹿児島漁業無線局から電波が発射されていますが、かつては電電公社の「検見川無線送信所(千葉県)」「臼井無線送信所(千葉県佐倉市)」「名崎無線送信所(茨城県三和町)」などと変遷しています。私のかつての同僚(お互い転勤族)にもこれらの無線送信所勤務の者もいました。
1980年代には、当時の同僚が、
「電電公社の無線送信所を借りて気象無線放送するのは回線使用料が高いとのこと・・・送信所の場所は周囲が農地であり・・・いずれ移転になるかも・・・私たちも配置転換になるだろう・・・」
ということをよく聞いたものでした。