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無題 投稿者:ひよこぴよ 投稿日:2010/05/12(Wed) 17:09:30 No.513  

1978年当時の気象無線模写通報[JMH]の放送スケジュールを紹介します。当時の気象学書にはこのような気象図の放送スケジュール表が掲載されていました。

私が名古屋地方気象台で初めて気象無線FAXの実物を見たのは、1978/3でして、仕事柄以前からFAXのことは知っていましたけれど、実際に買ったのは1980/5です。私が最初に受信開始した当時の放送スケジュール表でもあります。

当時の送信所は「電電公社・臼井無線送信所(千葉県佐倉市)」でして私のかつての同僚が勤務していました。



10日間の気象 投稿者:ひよこぴよ 投稿日:2010/05/12(Wed) 12:25:55 No.512  

名古屋地方気象台の 5/1〜5/11 までの「1時間値」と「10分間値」を紹介します。

「1時間値」のデータに、我家の「最高最低温度計」による5日ごとの観測値と、気象台の全天日射量の値を使って我家の気温を推定したものが「1時間値」のなかの「赤い太線」です。(全期間を「5日ごとの最高・最低気温」で案分しています)

この期間は天気が安定していたため、実測値と推定値の誤差は0.3゜以内でした。



まもなく30年 投稿者:ひよこぴよ 投稿日:2010/04/20(Tue) 14:53:34 No.509  

今年の5/17で私が気象図をファクシミリで受信開始してちょうど30年になります。写真は受信開始当時から現在までの変遷の一部です。写真編集の都合からかなり省略してあります。

私が気象庁から「気象無線放送」していることを知ったのは高校時代(1970年代前半)でして、工業高校・電子工学科でしたから、その通信方式も習ったものです。

気象無線FAXの実物はその頃に名古屋地方気象台で見ました。当時の気象台には「通信課」がありました。

仕事柄(元電電公社職員)、第1級無線技術士の免許をとらねばならず、その受験勉強のための参考書に「気象無線FAX」の写真が載っており、気象台以外にも一般販売されていることを知り、

「いつか これは なんとしてでも 買いたい」

と思うようになり、8年ぐらいかかって1980/4上旬に発注、5/17に我家に届きました。当時はまずアンテナ調整から始まり、職場のアマチュア無線家に機材が売っている店を教えてもらって、正常に受信できるようになるのに約1ヶ月かかったものでした。

以来、その後 受信方法は「電話FAX」「インターネット」と変遷するもこの30年間に受信した気象図 (インターネット受信では実際にプリントした図面で) の通数は5万枚を超えました。

気象無線ファクシミリ放送[JMH]は、現在は鹿児島漁業無線局から電波が発射されていますが、かつては電電公社の「検見川無線送信所(千葉県)」「臼井無線送信所(千葉県佐倉市)」「名崎無線送信所(茨城県三和町)」などと変遷しています。私のかつての同僚(お互い転勤族)にもこれらの無線送信所勤務の者もいました。

1980年代には、当時の同僚が、
「電電公社の無線送信所を借りて気象無線放送するのは回線使用料が高いとのこと・・・送信所の場所は周囲が農地であり・・・いずれ移転になるかも・・・私たちも配置転換になるだろう・・・」
ということをよく聞いたものでした。



本当に暖かいんです 投稿者:ひよこぴよ 投稿日:2010/04/18(Sun) 19:44:32 No.508  

この図は、春日井消防・西出張所 (名古屋空港滑走路南端から東へ約500m) の気象データに名古屋地方気象台の日照時間データを使用し、さらに名古屋地方気象台の全天日射量の平年値に天気に応じて補正係数を乗じて我家の気温の推定値を求めたグラフです。

赤の太線が我家の気温の推定値でして、それ以外の曲線は春日井消防・西出張所の気象、ピンクの棒グラフは名古屋地方気象台の1時間ごとの日照時間を10分ごとに換算したものです。

当地の本日の最高気温は、23.3゜、最低気温は4.6゜(最高最低温度計による)でしたから、推定値と実測値は0.5゜以内で一致しています。

春日井西出張所は我家と比較的環境が似ていますから 日の入りから日の出 までの気温はほぼ同じのことが多いです。(但し春日井西出張所の気温・湿度通風筒は地上約15mにあり)

昼間で晴天の日は我家は、公道に面した住宅密集地のため「陽だまり効果」もあってかなり暖かくなり、本当にこのグラフのように暖かいのか? と感じられるかもしれませんが、きょうは窓を全開にした2階の室内でも昼食時間帯には21゜に達し、布団を干したほどです。

朝9時30分には我家で既に16゜を超えていましたから、服装も1枚薄着にして名古屋城一帯の桜の観察に出かけました。

ただ、この推定方法は我家と消防署が同じ天気になっている季節なら活用できるも、盛夏の春日井市方面は雷雨が多く、消防署一帯が雷雨になっているときは5゜以上気温の差が現れることがあります。

小高い丘の上にある名古屋地方気象台のデータを使用するよりは正確に推定できますけれど、春日井西出張所も我家から約6km離れていますから、補正係数は日々調整が必要です。

春日井消防、春日井市役所など以前 春日井電報電話局に勤務していたときに近所を通って自転車通勤していましたから現地の町並みはよく知っていますし、現在も年に1回は現地へ行って測器の配置や周囲の環境を確認しています。(消防気象観測のため気象台のような広大な露場はありません)

ここまで推定できるならテータロガーは不要と感じますが、実測値と推定値ではやはり目的が異なります。ただ推定値ならほぼリアルタイム表示できます。データロガーは私の生活リズム(通院・リハビリなど)の都合から本日のデータは最短でも翌日の午後にデータ回収してからとなります。



気象測器の時代の流れ 投稿者:ひよこぴよ 投稿日:2010/04/14(Wed) 14:56:38 No.507  

写真は我家の1979年当時の百葉箱内部の様子です。

「自記温湿度気圧計(メテオログラフ)」
「フース型最高・最低温度計」

当時はこの組み合わせで気象観測をしていました。どちらの測器も現在は我家の押入れに保管してありますけれど、「自記温湿度気圧計(メテオログラフ)」は1983/4以降は室内空調管理用として2007年まで使い続けるも、老朽化して金属部分が腐食・折損し、とうとう使用不能になりました。

現在、気象測器メーカー各社から気象観測用として「自記温湿度計」を生産しているところを探したところ、ほとんどのメーカーは生産完了。

数社は美術館などの展示室の空調管理用として生産しているが気象観測用でしかも入手が便利 (受注生産品なら現在も数社あり) なメーカーは1社しか見つからなかった。

我家の「自記温湿度気圧計(メテオログラフ)」は、老朽化して精度維持困難なため、先月廃棄しようと思っていたが、今後この種の測器はだんだんなくなってしまうことから、観測の歴史として故障しているが保管しておこうと思っている。

ビデオデッキが「ベータ」から「VHS」に変わり、現在は「ブルーレイディスク」に変わりつつあるのと同様、気象測器もどんどん変わっていき、私が学生時代に理科で習った「自記温度計」も将来は教科書から消えてしまうだろう。

ここで、やっと思い切りがついた。「自記温度計」はあきらめて「データロガー」に変更しよう。これも時代の流れと思って。ただ、「データロガー」でデータ解析するにはパソコンが必要 (無くても使える機種もあるが、データロガーの便利さを活用するにはパソコン必要) なので総合的にはかなり高額になってしまう。

意中のデータロガーは数年前から決めている。あとは発注するかしないか、マウスでクリックするだけなのだが、それには勇気がいりますね。1977年から利用している理科学機器店でもFAXで発注できます。

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Modified by isso